
コロナ禍で高校生の心の健康は改善?「エネルギーランドスケープ分析」が明らかにした意外な真実
COVID-19パンデミック下において、日本の高校生の間で精神的苦痛のレベルがどのように変化したかを明らかにするための革新的な研究が行われました。統計物理学から派生した「エネルギーランドスケープ分析」という手法を用いることで、研究者たちはパンデミック前後の生徒たちの心理状態の動的な変化を捉えることに成功しました。この分析は、従来の統計的手法では見過ごされがちだった、心理状態の複雑な軌跡を理解する上で重要な示唆を与えています。
精神的苦痛の測定と分析手法
本研究では、東京都に住む16歳から18歳の高校生を対象に、2019年7月から2021年9月にかけて毎月実施されたKessler 6項目精神的苦痛尺度(K6)の質問票回答データが用いられました。従来の合計スコアによる分析に加え、研究チームは「エネルギーランドスケープ分析」を適用しました。この手法は、各質問項目を相互作用する変数として捉え、心理状態を多次元的な動的システムとしてモデル化します。これにより、精神的苦痛が「高い」か「低い」かといった静的な評価だけでなく、時間経過に伴う心理状態の安定性や変動性を視覚的に理解することが可能になります。分析の結果、パンデミック期間中、健康的な状態(すべてのK6項目が個人の平均値以下)が、抑うつ状態(すべてのK6項目が個人の平均値以上)と比較して相対的に増加したことが示されました。具体的には、パンデミック前は健康状態が抑うつ状態の11.0倍であったのに対し、パンデミック中は18.2倍に増加しました。
二つの異なる反応パターンを持つ生徒グループ
さらに、エネルギーランドスケープ分析は、K6の動態とエネルギーランドスケープが異なる2つの生徒グループの存在を明らかにしました。グループ1(G1)は、合計K6スコアが比較的低く(5未満)、時間的にも安定している61名の参加者で構成されていました。一方、グループ2(G2)は、合計K6スコアがより高く(多くが5以上)、不安定な23名の参加者で構成されていました。G2の参加者は、側頭葉の特定領域(海綿体回と扁桃体)において、脳のMRIスキャンによる測定で、より顕著な変化が見られました。これは、これらの脳領域の形態学的変化が、心理的な変動に対する感受性の増加と関連している可能性を示唆しています。
パンデミック下における若者の精神的健康: dynamical systems theory の応用とその意義
パンデミックによる精神的苦痛の低減とそのメカニズム
本研究の結果は、COVID-19パンデミックが、少なくとも一部の日本の高校生においては、精神的苦痛の低減とより健康的な精神状態への移行と関連していることを示唆しています。これは、学校閉鎖や外出自粛といった措置が、対面での人間関係や受験勉強といったストレス要因から生徒を解放した可能性を示唆しています。特に、G1の参加者は、パンデミック中に抑うつ状態への移行が抑制された一方で、G2の参加者は、抑うつ状態から健康状態への移行が促進されました。これは、パンデミックという外的要因が、個々の生徒の心理的動態に異なる影響を与えたことを示しています。
精神的健康の監視と次なるパンデミックへの備え
本研究は、エネルギーランドスケープ分析のような動的システム論的アプローチが、心理学や精神医学における健康・疾患指標の解釈に有効であることを実証しました。この手法は、将来のパンデミック発生時における精神的健康のサーベイランスを改善する可能性を秘めています。質問項目間の相互作用を分析することで、単なる合計スコアでは見過ごされがちな、特定の症状の進行パターンを特定できる可能性があります。これにより、教育者や学校保健関係者は、リスクのある生徒をより効果的に特定し、予防的支援を個別化することが可能になります。さらに、この分析結果を経済モデルや予測モデルに統合することで、早期介入の費用対効果を評価し、若者のメンタルヘルスプログラムへの資源配分に関する政策決定に情報を提供できるでしょう。
今後の課題と研究の限界
本研究の限界としては、参加者が東京都内在住者に限定されているため、一般化可能性には限界があることが挙げられます。また、精神状態と脳発達の関連は記述的なものであり、因果関係を検証するためには、さらなる介入研究が必要です。さらに、エネルギーランドスケープ分析における二値化処理は、状態数を削減するために行われましたが、これにより他の心理状態が見過ごされている可能性も否定できません。今後の研究では、より多様な集団を対象とし、非マルコフ的プロセスも考慮した分析手法の発展が期待されます。