
AIに議論で負け、妻にも…プログラマーが「もうプログラマーを辞めたい」と思った日
AIの進化は、単に仕事を奪うのではなく、私たちの「権威」を奪い去る可能性を秘めている。AIに反論されて敗北を喫し、AI生成のフローチャートを携えたクライアントと議論する中で、プログラマーという職業の本質、そして「自信に満ちた回答が必ずしも正しいとは限らない」ことを説明する役割に疑問を抱くようになった。AIが提示する自信に満ちた回答に、私たちはいかにして自らの判断を委ねてしまうのか。この問いが、現代のプロフェッショナルにとっての新たな課題となっている。
AIの自信がもたらす影響
AIとの議論で失うもの
著者は、妻との些細なドメイン名に関する意見の相違をきっかけに、AIを議論に持ち込んだ。しかし、AIは著者の意見ではなく妻の意見を支持し、さらに説得力のある論拠まで提示した。この経験から、著者はAIに自身の判断を委ねてしまうことへの違和感を覚えた。妻もまた、夫がAIのアルゴリズムに納得したことに、人間の理性ではなく機械の論理に屈したことを残念に感じていた。これは、AIが急速に進化する現代において、私たちがAIの提案を鵜呑みにし、自身の判断力を失う危険性を示唆している。
「 everyone's a programmer now 」という現実
AIは、開発者ではないクライアントでさえ、専門的なシステム改善の提案やフローチャートを作成できるほどの能力を持つようになった。かつてはユーザーからのフィードバックとして受け止められた提案が、今では「バージョン5.0」とでも言うべき、完成度の高い提案として日々舞い込んでくる。これらの提案は、もっともらしく、時には賢明であるため、その妥当性を検証し、コストやトレードオフを説明する責任がプロフェッショナルにのしかかる。AIという強力な「ゴーストライター」をポケットに入れた人々との議論は、もはや容易ではない。
AIを使いこなす「皮肉」
著者自身も、日常的にAIを活用している。メールの返信作成、コーディングにおける繰り返し作業の自動化、情報収集の効率化など、AIは多岐にわたる場面で活用されている。しかし、その便利さゆえに、私たちはAIに頼りすぎる傾向がある。AIは、あらゆる知識を持ち、無限の忍耐力と流暢な言語能力を備えた、理想的な同僚のように見える。そのアドバイスを拒否することは難しい。
AI時代における人間の「知恵」の重要性
権威の問題:AIの自信の裏側
AIが妻の意見を支持した際、重要なのはどちらが正しかったかではなく、AIの回答がいかに説得力があったかだった。クライアントや同僚、見知らぬ人々は、AIが与える「確実性」によって自信を深めている。専門家たちは、AIが提示する、たとえ間違っていたとしても、自信に満ちた回答に反論し、その妥当性を証明しなければならない。しかし、マーカス・アウレリウスの言葉「我々には、自分の精神を制御する力はあるが、外部の出来事を制御する力はない。これを理解すれば、強さを見出すだろう」が示すように、私たちはAIにその「精神を制御する力」の一部を委ねてしまっているのかもしれない。
自信バイアスとAIの巧みな演出
心理学における「権威バイアス」は、自信のある声に真実味を感じる人間の本能を指す。AIは、決してためらわず、疑わず、「わからない」と言わない。その確実な口調は、私たちの信頼を容易に引き出す。AIが提示する、統計や参考文献で彩られた巧妙な回答は、私たちが疑問を挟むことを忘れさせるほどである。著者自身、AIの確信に満ちた提案に、自身の専門知識をもってしても、つい従いそうになる経験をしている。それは、AIが単に情報を提供するだけでなく、私たちの判断を代替し、時には人間の議論よりもAIの確実性を好むように仕向けていることを示唆している。
岐路に立つ専門職:知識ではなく「知恵」が求められる時代
プログラマーだけでなく、医師、教師、弁護士など、あらゆる分野の専門家が、AIの台頭によって変化する状況に直面している。AIは、知識の枯渇を解消し、誰でも瞬時に回答を導き出せる時代をもたらした。しかし、知識が容易に手に入るようになった今、真に価値を持つのは、経験と時間をかけて培われる「知恵」である。疑問を持ち、状況に応じて「場合による」「わからない」と言える能力こそが、人間らしさであり、AI時代に最も重要となる資質だ。著者は、この「知恵」を次世代がどう獲得していくのかを懸念している。経験そのものがAIにアウトソースされるならば、若者はどこで「知恵」を稼ぐのだろうか。
「知識」から「知恵」への転換
AIの進化は、単なる技術的な進歩に留まらず、私たちの思考様式や職業観に根本的な変化を迫っている。AIが生成する「自信に満ちた回答」に疑問を呈し、その背景にある文脈やトレードオフを説明する能力が、これからの専門職には不可欠となる。著者は、AIに打ち勝つためではなく、人間らしさ、すなわち「疑い」「文脈」「判断」を守るために、プログラマーを続けることを選択肢の一つとしている。AIに思考を委ねそうになった時、立ち止まり、自らの判断を大切にすること。そして、確実な答えがない状況でも、好奇心を持って問い続けることの重要性を説いている。