ピーター・ズントーが示す「スロー建築」の本質：素材と伝統工法が語る持続可能な未来

リード文

スイスの片田舎に佇むブラザー・クラウス野外礼拝堂は、単なる建築物ではありません。それは「スローフード」の思想に通じる「スローアーキテクチャー」の実践であり、地元住民が参加し、時間をかけて丹念に築き上げられた、素材と伝統工法への深い敬意の結晶です。本記事では、ピーター・ズントーが手がけたこの象徴的な建築を通して、現代社会が失いかけている「ものづくり」の本質に迫ります。

ブラザー・クラウス野外礼拝堂に見る「スローアーキテクチャー」の諸相

地元住民と共に創り上げる建築プロセス

ペーター・ズントー設計のブラザー・クラウス野外礼拝堂の建設は、シュヴィーツ州のメーニック村の住民たちが直接プロジェクトに参加したことから始まりました。内部に縦に配置された木の丸太で作られた型枠を用い、コンクリートが流し込まれるという、非常にプリミティブでありながらも緻密な工法が採用されています。このプロセスは、建築が単なる設計者の創造物ではなく、地域コミュニティと共創するものであることを示唆しています。

素材の特性を最大限に引き出す伝統工法

建築に使用されたコンクリートは、11日間にわたる火災によって熱処理され、独特のテクスチャーと色彩を獲得しました。このプロセスは、素材そのものの変化を受け入れ、その特性を最大限に引き出すための「遅い」アプローチと言えます。コンクリートの表面に現れた木の痕跡は、自然素材と人工素材の対話の証であり、時間とプロセスがもたらす美しさを示しています。

「スローフード」思想との共鳴

この建築のアプローチは、「スローフード」運動が食材の生産地や伝統的な食文化を尊重し、時間をかけた丁寧な調理法を重視する思想と深く共鳴します。建築においても、素材の選択、地域との関わり、そして完成に至るまでのプロセスそのものが重視され、大量生産・大量消費とは対極にある価値観が示されています。これは、現代の建築界が直面する持続可能性や環境問題への一つの回答となり得ます。

機能性だけでなく、精神性をも追求する建築

礼拝堂の静謐な空間は、訪れる人々に瞑想と内省の機会を提供します。単純な形態の中に込められた素材の質感、光の取り入れ方、そして住民と共に作り上げたという物語性が、この空間に深い精神的な価値を与えています。これは、建築が単に雨風をしのぐ機能だけでなく、人々の精神に働きかけ、豊かな体験を提供するものであるべきだというズントーの哲学を体現しています。

素材と時間が生み出す建築の深み：ポスト・モダン建築を超えて

伝統工法への回帰が示す現代建築の課題

今日の建築業界は、プレハブ工法やモジュール化による効率化が主流ですが、ブラザー・クラウス野外礼拝堂は、あえて時間と手間のかかる伝統工法や地域密着型のプロセスを採用しています。これは、効率性のみを追求する現代の建築生産システムに対するアンチテーゼであり、素材本来の力を引き出し、地域社会との繋がりを育むことの重要性を示唆しています。手仕事の温かみや、素材が時間をかけて変化していく様を慈しむ文化が、現代において改めて評価されるべきだと考えられます。

「スロー」という思想がもたらす持続可能性

「スローアーキテクチャー」は、単に時間がかかるという意味合いに留まらず、素材の選択、製造プロセス、そして建築が地域社会や環境に与える影響までを考慮した、包括的な持続可能性の概念と言えます。地元の素材を使用し、地域の人々が建設に関わることで、輸送エネルギーの削減や地域経済への貢献に繋がります。さらに、素材の経年変化を楽しむという視点は、スクラップ＆ビルドではない、長期的な視点での建築との付き合い方を提案しています。

建築における「遅さ」の再定義と未来への示唆

この建築が示す「遅さ」は、非効率性を意味するのではなく、素材との対話、自然との調和、コミュニティとの協働といった、現代社会で失われつつある本質的な価値を内包しています。ピーター・ズントーのこの作品は、未来の建築が追求すべきは、単なる機能性やデザイン性だけでなく、時間と素材への敬意、そして人間的な繋がりであることを改めて教えてくれます。私たちは、この「スロー」な建築から、より豊かで持続可能な社会を築くためのヒントを得ることができるでしょう。