
なぜ政府は「読みやすさ」を捨てるのか?書体選びから見えてくるアクセシビリティの深刻な現実
近年、デジタル環境におけるアクセシビリティ(情報の利用しやすさ)は、デザイン界で最も重要な議論の一つとなっています。しかし、米政府の最新のコンプライアンス評価や、公的機関におけるフォント選定を巡る議論は、この概念がいかに軽視され続けているかを如実に物語っています。フォントは単なる装飾ではなく、市民が公共サービスにアクセスするための不可欠な「インフラ」です。本記事では、書体選びという小さな決定が、なぜ社会的な排除につながるのか、その背景と本質的な課題を解説します。
政府の書体変更から浮き彫りになったアクセシビリティの軽視
連邦政府によるアクセシビリティ評価の現状
2026年3月に発表された「リハビリテーション法第508条」に関する連邦政府のコンプライアンス評価報告書は、政府のデジタルアクセシビリティの現状が依然として不十分であることを明らかにしました。調達面でのわずかな改善は見られるものの、障がい者や、正確かつ明快な情報を必要とする一般市民にとって、公的文書やデジタルツールへの公平で使いやすいアクセスは依然として担保されていません。
「Times New Roman」回帰の裏側
2025年12月、米国務省がフォントを「Calibri」から「Times New Roman」に戻すという決定を下しました。この決定は「礼節と専門性」を理由に掲げていましたが、実際にはアクセシビリティの観点から見れば、公平性への軽視と捉えられています。多くの人々がこのニュースを些細なものとして見過ごしましたが、この決定こそがデジタル時代の公共コミュニケーションにおける重大な誤りであると指摘されています。
書体が持つ機能的役割の重要性
2023年にCalibriが採用された背景には、単なる美的感覚ではなく、多様なユーザーにとっての「機能的な読みやすさ」という明確な目的がありました。デジタルデバイス、スクリーンリーダー、低解像度モニター、そして英語を母国語としない人々や学習障害を持つ人々にとって、Times New Romanのようなセリフ体(装飾のあるフォント)は、文字が崩れたり判読しにくかったりする可能性が高く、Calibriのようなサンセリフ体(装飾のないフォント)の方が、圧倒的に高いユーザビリティを提供します。
デザインの選択が突きつける社会への問い
「権威」という nostalgia が生む排除のメカニズム
Times New Romanは伝統的な権威の象徴として好まれますが、現代のデジタル公共サービスにおいては、それは誤った権威主義と言わざるを得ません。複雑で情報密度の高い行政フォームにおいて、読み取りを困難にする書体を選択することは、ユーザーに対して不必要な認知的負荷を強いることになります。権威を示すための選択が、結果として最も支援を必要とする人々を情報から遠ざける「アクセシビリティの欠如」という壁を作り出しています。
公共サービスにおけるアクセシビリティの不可逆性
公共コミュニケーションは、市民が情報を読み、理解し、行動するためのサービスです。もしその文書が「読みにくい」のであれば、それはシステムとしての基本的機能を果たせていません。デザインやアクセシビリティを「オプション」や「トレンド」として扱うのではなく、公的な義務として捉えるべきです。今回のフォント問題をきっかけに、私たち社会が「明確な情報伝達」を最優先事項として再定義しなければ、情報格差は拡大し続けるでしょう。