
空爆の歴史:ゲルニカからガザへ、民間人犠牲の連鎖とその背景
本記事は、現代の紛争における空爆の役割と、それが民間人の犠牲に及ぼす壊滅的な影響を深く掘り下げます。第二次世界大戦以降、地上戦に代わって空爆が常態化する中で、その使用はしばしば「現代性」や「効率性」の美名の下に隠蔽されてきました。しかし、その実態は、遠隔からの無差別な殺戮であり、歴史はそれを繰り返してきました。本稿では、ゲルニカの悲劇から現在のガザ紛争に至るまで、空爆が民間人に与える甚大な被害を検証し、その背景にある構造的な問題と今後の展望を探ります。
空爆の歴史的変遷と民間人犠牲
エチオピア侵攻とゲルニカの惨劇
空爆による民間人への攻撃は、1930年代、イタリアのエチオピア侵攻における病院への爆撃に始まりました。そして1937年4月、スペインのゲルニカがドイツとイタリアの空軍によって爆撃され、その名は民間人虐殺の代名詞となりました。パブロ・ピカソの絵画「ゲルニカ」は、この蛮行に対する国際的な怒りを呼び起こしましたが、第二次世界大戦の勃発と共に、人口密集地への無差別爆撃は「戦時標準作業手順」と化していきました。
第二次世界大戦における空爆の激化
第二次世界大戦中、ドイツ空軍によるイギリスへの空襲では43,500人以上の民間人が死亡しました。連合国が優位に立つにつれ、ハンブルク、ケルン、ドレスデン、そして東京、広島、長崎といった都市は、爆撃による火災旋風や放射能の炎に包まれました。アレックス・J・ベラミーの研究によると、第二次世界大戦中に連合国の空爆により、ドイツでは30万〜60万人、日本では20万人以上の民間人が死亡したとされています。これらの空爆は、しばしば民間人自体を標的としたものであり、英米両政府はそれを否定しつつも、実行していたことが明らかになっています。
現代における空爆の正当化とその実態
2023年10月のガザ紛争開始以降、イスラエル指導者は、米国や他の連合国が第二次世界大戦中にドイツや日本に対して行った壊滅的な爆撃(広島、長崎への原爆投下を含む)を、自国の軍事作戦の正当化根拠として引き合いに出しています。例えば、元米国大使のマイク・ハッカビー氏は、英国首相のキア・スターマー氏がガザでのイスラエル軍の攻勢拡大を批判したことに対し、1945年のドレスデン爆撃(25,000人以上の民間人が死亡)を引用して「ドレスデンを覚えているか?」と応じました。国連によると、ガザで確認された死者の約70%が女性と子供であり、イスラエル軍の空爆能力は米国からの兵器供与に大きく依存しています。
アメリカの「空の戦争」と民間人の見えない犠牲
米国もまた、現代における空爆の行使において、民間人の犠牲を軽視する傾向があります。2003年のイラク戦争開始時の「ショック・アンド・アウ」空爆や、その後のアフガニスタン、イラク、シリア、イエメン、ソマリアなどでの継続的な空爆作戦は、しばしばメディアの注目を浴びることはあっても、その結果としての民間人の犠牲は過小評価されがちです。アナンド・ゴパル氏がアフガニスタンで調査した事例では、小規模な空爆による家族の死が20年以上にわたり14〜15回に及び、その多くが公式記録に残らない「見えない死」となっていることが明らかになりました。ブラウン大学の「戦争のコスト」プロジェクトによれば、9/11以降の戦争における直接的な死者数は90万5千人以上にのぼり、そのうち45%が民間人であり、さらに多くの人々が戦争の「波及効果」によって死亡していると推計されています。
考察:空爆は「戦争」なのか
「地上兵力なき戦争」の欺瞞
リビア空爆(2011年)やアフガニスタンからの米軍撤退(2021年)の際、米国政府は「地上部隊が関与していない」「アメリカ人の死者が出ていない」ことを理由に、これらの軍事行動を「戦争」と見なさない、あるいは「戦争状態にない」と主張しました。この見方は、空爆によって民間人が犠牲になっていても、自国の兵士に死者が出なければ「戦争ではない」という、極めて自己中心的な論理に基づいています。これは、空爆の遠隔性、無力化、そして「見えない」犠牲者を生み出す性質を利用した、責任逃れとも言える欺瞞です。
「地上兵力なき戦争」の歴史的継続性
現代の紛争における空爆の常態化は、単なる戦術の変化ではなく、戦争のあり方そのものの変容を示唆しています。地上兵力の動員やそれに伴う自国民の犠牲を回避することで、戦争への心理的・政治的ハードルを下げ、より安易な軍事介入を可能にしています。これは、第一次世界大戦以降、技術の進歩とともに「殺戮」から「破壊」へと戦争の様相が変化してきた流れの一つの帰結とも言えます。しかし、その「破壊」の対象が常に民間人であり、その犠牲が「見えない」ものとして軽視され続ける限り、戦争の非人道性は解消されません。
今後の展望:責任と透明性の確保に向けて
ゲルニカからガザに至るまで、空爆による民間人の犠牲は繰り返されています。この連鎖を断ち切るためには、空爆の使用に関する国際的な規制の強化と、その結果に対する厳格な説明責任の追及が不可欠です。また、メディアや市民社会は、空爆による「見えない犠牲」にも光を当て、その実態を正確に伝え続ける必要があります。戦争の遠隔化・非人間化が進む現代においてこそ、空爆の倫理的・人道的側面を問い直し、責任と透明性を確保する努力が求められています。