
元ピクサーアーティストが語る、コスタリカの吸血鬼伝説と幼少期の記憶、犯罪写真が創作に与えた影響
元ピクサー・アーティストであるリカルド・デルガド氏が、最新のイラストレーションブック「Vampyre: a Costa Rican Folktale」を発表しました。本作は、デルガド氏の幼少期の記憶、コスタリカの民間伝承、そして衝撃的な犯罪写真といった多様な要素を融合させ、独特の世界観を築き上げています。200ページを超えるこの作品は、歴史的な地図、実写写真、そして緻密にデザインされたクリーチャーを組み合わせ、現実と幻想が入り混じるような、触れることができるかのような不思議な体験を提供します。
創作の源泉:コスタリカの伝承と個人的な記憶
バックグラウンドとインスピレーション
「Vampyre」は、デルガド氏が自身の両親の故郷であるコスタリカを舞台に、家族の歴史と地元の伝承、そして古典的なホラーを織り交ぜて描いた、個人的に深く結びついた作品です。映画「WALL-E」や「Mr.インクレディブル」などで知られるデルガド氏が、これまでのキャリアで培ったクリーチャーや世界観のデザイン能力を、自身のルーツに捧げた物語となっています。
吸血鬼のデザインプロセス
作中に登場する吸血鬼は、コスタリカの豊かな動物相からインスピレーションを得て、幾度もの試行錯誤を経てデザインされました。特に鳥の形態については、当初カラスをイメージしていましたが、コスタリカにはカラスが生息しないことを知り、代わりにロードランナーに似た攻撃的な小鳥「Teńate」から着想を得て、よりユニークで興味深いデザインへと昇華させています。読者が好むであろう様々な形態を複数バージョン作成し、デザインの多様性を追求しました。
実在の場所と地図の活用
物語の多くは夜のシーンで展開されますが、デルガド氏はコスタリカの実際の地名や地理的構造を厳密に物語に組み込んでいます。物語の殺人事件の発生場所などは、実在するコスタリカの町アラフエラで、両親が育った場所であり、歴史的にも重要な場所が地図上に示され、物語のリアリティを高めています。Googleマップと自身の本を並べて、物語の舞台が現在も存在することを確認する作業は、彼にとって大きな喜びでした。
犯罪写真からの影響
デルガド氏の作品には、子供時代に目にした衝撃的な犯罪写真の影響も色濃く反映されています。特に、路上に横たわる被害者の姿や、血だまりといった生々しい描写は、当時の彼に深い感銘を与え、恐怖を抱かせました。ユニバーサル・モンスター映画のような古典的なホラーとは異なる、より現実的で visceral(本能に訴えかける)な恐怖表現を目指し、それが「Vampyre」のダークでシネマティックな世界観を形作っています。
物語を語る地図
物語の構造を視覚的に補強するツールとして、地図は重要な役割を果たしています。アラフエラ周辺の実際の場所を舞台にした殺人事件の描写は、読者に地図を通して物語の文脈をより深く理解させ、満足感を与えることを意図しています。「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」や「ロード・オブ・ザ・リング」のように、地図が物語に視覚的な深みを与える効果を狙いました。
映画制作の経験とイラストレーションへの応用
映像から印刷物への移行
映画のコンセプトアート制作とは異なり、書籍のイラストレーションでは、読者がゆっくりと時間をかけてページをめくることを考慮したプロセスが求められます。デルガド氏は、映画のコンセプトアートのようなキャラクターデザインに焦点を当てることで、このプロジェクトに最も適したアプローチを選択しました。追跡シーンのような動きのある描写よりも、吸血鬼の様々な形態や被害者たちの描写に重点を置くことで、より visceral な体験を読者に提供しようと試みています。
伝統とデジタルの融合
デルガド氏は、鉛筆と紙を用いた伝統的なスケッチからアイデアを練り上げ、その後デジタルで作品を完成させるというハイブリッドな制作スタイルを採用しています。特に「Vampyre」では、クリーチャーデザインにおいてシュールレアリスムへの傾倒を強め、物語に「実在する世界の中で非日常が起こる」というマジックリアリズムの要素を取り入れています。これは、ガルシア=マルケスの「百年の孤独」のような文学作品にも通じるアプローチであり、読者を物語の世界に深く引き込む効果があります。
創作の背景にある文化的・個人的な意義
「Vampyre: a Costa Rican Folktale」は、単なるホラーイラストレーションブックにとどまらず、コスタリカの文化、歴史、そしてアーティスト自身の個人的なルーツを探求する旅でもあります。デルガド氏が実在の場所や地元の伝承、さらには幼少期の原体験を融合させることで、読者に他に類を見ない、豊かで多層的な物語体験を提供しています。この作品は、個人的な記憶と集合的な文化遺産が、どのようにして強力な芸術表現へと昇華されるかを示す好例と言えるでしょう。