ヴェネツィア・ビエンナーレ「ソマリア館」に潜む闇:国家代表とは誰が定義するのか?

ヴェネツィア・ビエンナーレ「ソマリア館」に潜む闇:国家代表とは誰が定義するのか?

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2026年、ヴェネツィア・ビエンナーレにソマリアが初めてパビリオンを設置しました。これはソマリアの豊かな文化を国際的に発信する重要な機会として期待されていましたが、その運営体制をめぐり、ソマリアのアート界内部から激しい批判が巻き起こっています。本稿では、このプロジェクトが抱える矛盾と、アーティストたちが問いかける「代表」のあり方について解説します。

ソマリア館をめぐる主要な批判と議論

ディアスポラ偏重と国内アーティストの排除

パビリオンの主要アーティストやキュレーターが、欧米拠点のアート関係者(ディアスポラ)で構成されている点が批判の的となっています。現地のソマリア国内で活動するアーティストたちが完全に脇に追いやられており、ソマリアという国家を代表する展示でありながら、当事者である国内の声が反映されていないという指摘がなされています。

不透明なキュレーター選定と植民地主義への懸念

特に問題視されているのが、ソマリア人キュレーターが共同キュレーターとしてイタリア人の起用を決めた点です。かつての植民地支配国であるイタリアの人物をあえて登用したことは、ソマリア国内の専門家に対する侮辱であり、新植民地主義的であるとの強い非難を浴びています。

意思決定層のジェンダーバイアス

運営チームや諮問委員会が男性のみで構成されていることに対しても、「ソマリアのアートや女性の貢献を適切に体現していない」という批判が寄せられました。展示のテーマに女性アーティストを据えながら、実質的な決定権が男性に集中している構造に対する矛盾が指摘されています。

政治的意図への警戒感

批判的なアーティスト集団「Warbixinta Cidda」は、このパビリオンがイタリアの極右政府による「グローバルな包摂」を装った政治的なパフォーマンス(アートウォッシング)に利用されることを懸念しています。彼らは、植民地の過去を隠蔽する現地の政治状況下での展示そのものの倫理性を問うています。

表現の「代表性」と今後の展望

「代表」という言葉の再定義

本件の本質的な課題は、誰がその国を「代表」する権利を持つのか、という問いです。特にディアスポラのアーティストが主導する国際的なイベントにおいて、現地のアーティストの文脈が無視されることは、歴史的な植民地支配の構造を再生産することに繋がりかねません。今後の文化発信においては、中央(西欧・北米)の論理ではなく、現地の実践をいかに中心に据えるかという「脱植民地化」されたネットワーク構築が不可欠です。

真の連帯に向けたディアスポラの倫理

今後、ソマリアのみならずグローバルサウスのアーティストたちが国際展に関わる際、今回のパビリオンのように「権力者や元植民地国のキュレーターに忖度する」ことは批判対象となるでしょう。アーティストたちは、アートウォッシングに加担せず、黒人主導の独立した空間を維持し、現地のアーティストとの真の対等なパートナーシップを築くという「新しい倫理(ケアのエートス)」を確立することが求められています。

画像: AIによる生成