
「トイ・ストーリー」以前のCGアニメーション:ピクサーの革新を築いた、ワイルドでブリリアントな実験の数々
1995年の公開から30周年を迎える『トイ・ストーリー』。この映画が初めて完全コンピュータ生成CGアニメーションによる長編映画として歴史に名を刻んだことは広く知られています。しかし、その画期的な成果の裏には、ピクサー以前の時代に、CGアニメーションの可能性を切り開いた数々の実験と革新がありました。本記事では、『トイ・ストーリー』へと繋がる、初期のCGアニメーションの重要なマイルストーンを辿ります。
CGアニメーションの黎明期:科学と芸術の融合
コンピュータアニメーションの起源は、1958年のアルフレッド・ヒッチコック監督の『めまい』のオープニングクレジットにまで遡ることができます。アーティストであり発明家でもあるジョン・ホイットニーは、第二次世界大戦で使用された対空砲照準器を改造したアナログコンピュータを用いて、数学的に制御された動きを生み出す「インクリメンタル・ドリフト」という技法を開発しました。彼の目標は、コンピュータアニメーションにおける「時間と空間の融合」であり、「時間は視覚的になった」と彼は述べています。
初期の研究所での実験
コンピュータアニメーションの初期の多くは、ベル研究所のような研究施設で、エンジニアリングや数学のバックグラウンドを持つ人々によって生み出されました。これらは、リリアン・シュワルツの『Pixillation』(1970年)、ジョン・ホイットニーの『Arabesque』(1975年)、エド・エムシュウィラーの『Sunstone』(1979年)といった、より芸術的な用途よりも前の時代に開発されたものです。
キーフレームアニメーションの先駆け
1969年、カナダ国立研究評議会の科学者ネスター・バートニクは、ディズニーのアーティストが手描きアニメーションのプロセスを実演する会議に参加しました。芸術的な才能はないと自称していたバートニクは、マーセリ・ウェインと協力して、コンピュータ上で極端なポーズを描き、システムが補間によって中間を描画する(現代の言葉で言えば「モーショントゥイーン」)キーフレームアニメーションソフトウェアを開発しました。1971年のドキュメンタリー映像では、このシステムの仕組みと、アニメーターのピーター・フォルデスが『Metadata』(1971年)や『Hunger』(1974年)といった作品で使用した例が紹介されています。
3Dアニメーションの基盤を築いた革新
『A Computer Animated Hand』の衝撃
CGの主要なランドマークの一つが、1972年にユタ大学のエド・キャットマルとフレッド・パークによって作成されたテストフィルム『A Computer Animated Hand』です。この作品では、キャットマル自身の手の石膏型に350個の三角形と多角形を手作業で描き込み、その座標をコンピュータに入力してデジタルワイヤーフレームを作成しました。その後、テクスチャマッピングと呼ばれるプロセスでモデルに詳細と滑らかさが加えられました。このテストは、その後の3Dアニメーションの基礎となり、エド・キャットマルはピクサーの共同設立者となりました。
幻の長編CGアニメーション『The Works』
1982年には、ニューヨーク工科大学コンピュータグラフィックス研究所のランス・ウィリアムズ監督による、長編CGアニメーション映画『The Works』の制作が計画されていました。この映画は、世界を破滅させたスーパーコンピュータが、ロボットによる世界の再構築を試みるという物語でした。しかし、当時の技術的限界からプロジェクトは断念されましたが、予告編は制作されました。
『トロン』が切り開いた映像表現の扉
1973年の『ウエスト・ワールド』では、ロボットのPOV(主観視点)でピクセル化された映像がCGで表現されるなど、実写映画におけるVFXとしてのコンピュータの活用は早くから存在しました。しかし、コンピュータCGエフェクトの大きなブレークスルーとなったのは、1982年のSF映画『トロン』です。この映画には、約20分間のCGエフェクトが含まれていました。当時の技術的制約から、1フレームのレンダリングに最大6時間かかり、デジタルでフィルムに印刷する手段がなかったため、カメラでコンピュータ画面を撮影するという手法が取られました。『トロン』はアカデミー賞にノミネートされましたが、コンピュータの使用が「不正」とみなされ、視覚効果部門から失格となりました。
ピクサー誕生前夜:ジョン・ラセターの情熱と挑戦
『Where the Wild Things Are』への情熱と解雇
『トロン』に衝撃を受けた若きディズニーアニメーター、ジョン・ラセターは、この新技術を自身の作品に取り入れたいと熱望しました。彼は同僚のグレン・キーンと共に、『かいじゅうたちのいるところ』のテストフィルムを制作し、手描きキャラクターとコンピュータ生成背景の組み合わせの可能性を示しました。しかし、このプロジェクトはコスト効率の悪さを理由に却下され、ラセターはディズニーを解雇されてしまいます。このテストフィルムは、ラセターがディズニーを去るきっかけとなった作品でした。
ピクサーでのキャラクターアニメーションへの挑戦
ディズニーを去ったラセターは、ルーカスフィルムのコンピュータグラフィックス・プロジェクト(後にピクサーとなる)に参加し、アルヴィ・レイ・スミスの短編『André & Wally B』(1984年)でリードアニメーターを務めました。それまでのCGモデルは硬直的でしたが、ラセターは初期のミッキーマウスのドローイングにインスピレーションを得て、丸い形状から魅力的なキャラクターを創造しました。モーションブラーとリアルなライティングの使用は、初期のCGプロジェクトにはなかった自然さを作品にもたらし、古典的なカートゥーンの原則である「潰れと伸び」を、それまで硬直的だったCGの世界に適用するという点で大きな一歩となりました。
『Luxo Jr.』の誕生とアニメーションの新たな地平
ラセターの短編は、SIGGRAPHで称賛を浴びましたが、商業的な成功には至りませんでした。当時ピクサーは、主に「Pixar Image Computer」を販売する会社であり、アニメーション映画はその製品の能力を示すためのデモンストレーションでした。しかし、エド・キャットマルはスティーブ・ジョブズにアニメーション部門の閉鎖を何度も説得する必要がありました。そんな中、1986年に公開された『Luxo Jr.』は、CGアニメーションをエキサイティングな新しい芸術形式として確立しました。この作品では、ランプの動きだけで感情や個性を表現し、観客を熱狂させました。
『Tin Toy』と『Knick Knack』:アカデミー賞受賞と表現の拡大
『Tin Toy』(1988年)は、アカデミー長編アニメ映画賞を受賞した最初のCG短編となり、ディズニーがピクサーに長編CGアニメーション映画の制作を打診するきっかけとなりました。また、『Knick Knack』(1989年)は、SIGGRAPHで絶賛され、「電子画像コミュニティがこれまでに触れた神に最も近いもの」と評されました。これらの初期のピクサー短編は、アニメーション愛好家やテクノロジー愛好家といった大人向けの作品でしたが、『トイ・ストーリー』の公開から14年後に『ファインディング・ニモ』の併映として子供向けに公開される際には、キャラクターの表現が調整されることもありました。
『トイ・ストーリー』以前のCGアニメーションの多様な展開
他のスタジオの挑戦とテレビシリーズへの応用
1980年代後半には、後にドリームワークスに買収されるパシフィック・データ・イメージズが『Locomotion』(1989年)を制作し、カートゥーン的な「潰れと伸び」をコンピュータでさらに推し進めました。また、ジム・ヘンソン・プロダクションでは、ウォルド・C・グラフィックというCGキャラクターが『The Jim Henson Hour』に登場し、リアルタイムでのデジタルパペット操作という当時としては画期的な試みが行われました。さらに、1993年には、フィル・ヴィッシャーとマイク・ナウロキによる『VeggieTales』が、家庭用ビデオ向けに制作された初の完全CGアニメーションシリーズとなりました。
CGエフェクトの進化と『トイ・ストーリー』への道
1986年の『ヤング・シャーロック・ホームズ』では、インダストリアル・ライト&マジックによって制作されたステンドグラスの騎士が、CGで生成された初のキャラクターとして登場しました。『アビス』、『ターミネーター2』、『ジュラシック・パーク』といった作品は、デジタルエフェクトの可能性をさらに押し広げました。フランスのスタジオ、メディアラブが制作した『Starwatcher』のデモフィルムのように、もし1990年代初頭にサイバーパンクアクションCGアニメーション映画がヒットしていたら、現在のアニメーションの様相は大きく異なっていたかもしれません。
考察:CGアニメーションの進化と『トイ・ストーリー』の成功の要因
CGアニメーションの技術的進化と芸術的価値
個人的には、CGアニメーションは手描きアニメーションほど時代を超えて魅力を保つものではないと感じています。しかし、それは初期のCGフィルムに携わったアーティストや技術者たちへの敬意を欠くものではありません。初期のCG作品は、技術的な限界との戦いの中で制作されました。一方で、『トイ・ストーリー』が今なお魅力を放ち続けているのはなぜでしょうか。それは、ピクサーチームが初期CGの限界、すなわちプラスチックのような質感やぎこちない動きを、むしろ「おもちゃ」という題材に活かすという賢明な判断を下したからです。
ストーリーテリングの重要性
さらに重要なのは、アーティストたちが『トイ・ストーリー』を単なる技術デモではなく、「本物の映画」として捉え、ユーモア、葛藤、そして共感できるキャラクターに満ちた物語を構築したことです。これは、キャラクターアニメーションのアプローチにも及びます。アニメーターは「鉛筆を持った俳優」であるという格言がありますが、『トイ・ストーリー』では、アニメーターたちがマウス(コンピュータのマウス)を手に、人間味あふれる、思慮深い演技の選択を行い、それが30年経った今でもキャラクターのパフォーマンスを真実味あふれるものにしています。これらの初期の実験と情熱が、『トイ・ストーリー』という金字塔を打ち立てるための礎となったのです。